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和田重次郎を知っていますか?

愛媛が生んだ探検家

母 セツ

明治八年、旧小松藩士、和田源八と後妻セツの間に生まれました。明治十二年、父親が病死。重次郎は母の故郷、紙の里・日の出町で、母親を助けて働きます。十七歳で野望を抱いてアメリカに密航。捕鯨船に乗り込み夢中で働きました。

明治二十九年、二十二歳の時、日の出町に一時帰郷し、三ヶ月間母親と過ごします。その間、母親を東京など大都市の見物に連れて行きました。再びアラスカに戻りますが、母親を思う気持ちは強く、終生、手紙や送金を続けました。

アラスカ開拓の先駆者

明治三十年、犬橇を使って遭難船を救います。明治三十三年、アラスカのノームで開かれた五十マイル犬橇競争で優勝。

その後、得意の犬橇を使って金鉱探しの旅に出て、砂金、金鉱、油田を発見しました。

また、北極圏六千キロの探検をし、未開発地域の地図を作成するなど、明治後半から大正にかけてアラスカで知らぬものがいないほど名声を馳せました。

2,700kmの氷雪を犬ゾリで旅し帰還した和田重次郎

重次郎ゆかりの地を訪ねて

顕彰碑、胸像、文学碑

顕彰碑、胸像、文学碑

顕彰碑の地図

顕彰碑の地図

和田重次郎顕彰碑・和田重次郎胸像・新田次郎文学碑

和田重次郎のアラスカ開拓者としての偉業と母セツへの孝養の精神を顕彰するために、和田重次郎が育った松山市日の出町の緑地公園に「和田重次郎顕彰碑」、「和田重次郎胸像」、また、和田重次郎の半生を描いた短編小説「犬ぞり使いの神様」を書いた新田次郎を記念した「新田次郎文学碑」の三基が、平成19年9月3日に建立されました。
地元ボランティアグループの方たちが周辺を整備するほか、毎日芝の手入れをするなど、顕彰碑を大切に守っており、そのおかげで市民の憩いの場所にもなっています。
なお、和田重次郎顕彰碑の横には、正岡子規と五百木飄亭の句碑もあります。

坂の上の雲ミュージアム

坂の上の雲ミュージアム

坂の上の雲ミュージアム

司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の世界が広がるミュージアム。
「和田重次郎顕彰展示会」を2階展示ホールで平成20年から毎年開催しています。

松山市一番町三丁目20番地 ℡089-915-2600

松山城

松山城

松山城

日本三大平山城のひとつである名城。賤ヶ岳七本槍の一人として有名な加藤嘉明が築城したものです。
明治時代。重次郎が育った素鵞村からも全貌が拝めました。俳人正岡子規と和田重次郎とは交流は、全くありませんでしたが、同じ時代に松山城を見ながら育ちました。

「春や昔 十五万石の 城下かな」 正岡子規

秋山兄弟生誕地

秋山兄弟生誕地

秋山兄弟生誕地

司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の主人公である秋山好古、秋山真之兄弟の生誕地。復元された生家や好古の騎馬像もあります。
和田重次郎は秋山兄弟とも交流はありませんでしたが、同じ時代に育ち、明治人としての誇りと高い志を持ち、夢とロマンを追い求め、アラスカの地を目指しました。

松山市歩行町2-3-6 ℡089-943-2747

道後温泉

道後温泉本館

道後温泉本館

日本最古の温泉。
本館は、明治27年に建造された城郭式の建築で、三層楼の威容を誇っています。
和田重次郎は、明治29年にアラスカから一時帰国し、母セツに三ヶ月間孝養を尽くします。きっと道後温泉にも一緒に行ったことでしょう。

願成寺

願成寺

願成寺

和田重次郎は、母セツに終生孝養を尽くしました。母セツは、重次郎がアメリカに渡った後も、松山市日の出町で独り暮らしておりましたが、昭和8年82歳で亡くなります。
重次郎にとって甥にあたる内子町に住む和田八百利が葬儀を行い、内子町の願成寺にセツの墓を建てました。遠い極北の地にいる息子重次郎を思いながら、他界した母セツは、ここ願成寺に今も静かに眠っています。

内子町内子351 ℡0893-44-3021
内子座

内子座

内子座

内子座は、大正5年(1916)に創建された木造平屋建て瓦葺き入母屋造りの劇場。
平成23年12月24日には、和田重次郎の生涯を描いたみかん一座のミュージカル「オーロラに駆けるサムライ」の公演が行われました。

カナダ・ホワイトホース

カナダ・ホワイトホース

カナダ・ホワイトホース(White Horse)

ホワイトホースは、ユーコン準州の州都。世界一過酷な犬ぞりレースと言われる「ユーコン・クエスト」は、ここホワイトホースとフェアバンクスの間約1,600キロで行われ、出発式は、毎年交互に行われます。

レース前夜祭の展示

レース前夜祭の展示

ユーコン・クエストのコースは、和田重次郎が開拓したトレイル(雪道)が使われています。このため、ホワイトホースには和田重次郎研究グループがあり、2007年のレース前夜祭では、和田重次郎の偉業を称える展示会が開催されました。

カナダ・ハーシェル島(Herschel Island)

カナダ・ハーシェル島

カナダ・ハーシェル島

ハーシェル島は、面積112平方キロメートルの北極海に浮かぶ島で、カナダ・ユーコン準州の北に位置します。
和田重次郎は、明治25年(1992)に密航してアメリカに渡り、騙されて捕鯨補助艦「バラエナ号」に乗せられ北極海に出航し、最初に降りたったのが当時捕鯨基地のあったハーシェル島です。以後、重次郎は、北極圏を犬ぞりで探検するに際しては、常にハーシェル島を中継基地としていました。

アラスカ・セワード(Seward)

セワードは、キナイ半島の東岸リザレクション湾に面する港町です。
和田重次郎は、1909年(明治42年)セワード商工会議所から、アイディタロッド鉱山までのトレイル(雪道)の開拓を依頼されます。
重次郎の開拓したトレイルのおかげで、1924年にノームでジフテリアが発生した時、血清を運ぶことができ、多くの人の命を救われます。
これを記念してアンカレッジを出発しノームを目指す世界最長の犬ぞりレース(約1,930キロ。青森県から山口県に匹敵する距離)「アイディタロッド国際犬ぞりレース」が1973年から始まります。
セワードでは、トレイルの開拓によりセワードの発展をもたらした和田重次郎の偉業を称え、「アラスカ和田重次郎顕彰会」が設立され、2010年9月6日には記念イベントが開催されました。
また、「セワード博物館」には、和田重次郎の特別展示コーナーもあります。

マイルゼロ・モニュメント

マイルゼロ・モニュメント
ここから重次郎はアイディタロッドを目指し出発しました。

アラスカ和田重次郎顕彰会設立記念イベント

和田重次郎の偉業を称え開催された記念イベント

セワード博物館

セワード博物館の和田重次郎特別展示コーナー

アラスカ・フェアバンクス

アラスカ・フェアバンクス

赤祖父俊一氏(前列左)

赤祖父俊一氏(前列左)

アラスカ・フェアバンクス(Fairbanks)

フェアバンクスは、アラスカ州中央に位置し、大河ユーコンの支流タナナ川とチェナ川流域にあります。
和田重次郎は、タナナでの金鉱発掘の登録申請をするため1902年に厳寒の中、犬ぞりでカナダのドウソンに駆けこみます。
金鉱発掘のニュースが新聞に掲載されると、金を求める人たちがどっとフェアバンクスに押し寄せ、アラスカ開拓史上名高い「タナナ・スタンピード」が起きます。
このことがきっかけで、フェアバンクスは、アラスカ第二の都市へと発展します。

フェアバンクスには、アラスカ州立大学があり、和田重次郎の研究グループもあります。オーロラ研究の世界的権威者 赤祖父俊一氏も和田重次郎の調査研究に取り組まれています。

アラスカ・バロー(Barrow)

重次郎がいた当時の北極海

重次郎がいた当時の北極海

難破船を救助

難破船を救助

バローは、北米大陸最北端の町で、北極海に面しています。
和田重次郎は、1897年にバローの最北端であるポイント・バロー沖で、氷に閉じ込められたニューポート号を、ジェニー号に乗り救援に向かいます。
そして、重次郎は、独り氷原に降りたち、巧みな犬ぞり操作と卓越した狩猟技術により、カリブー(野生のトナカイ)を犬ぞりに乗って狩猟し、大量の肉を船員たちに届け、多くの命を救うことができました。
これを契機に、重次郎は、「犬ぞり使いの神様」と呼ばれるようになりました。また、このとき、後のタバスコ会社の社長となる「マッキルヘニーⅢ世」とも出会っています。
なお、新田次郎の「アラスカ物語」で描かれた、フランク・安田はポイント・バローのエスキモーを率いて1906年ごろビーバーに移動しています。和田重次郎も同時期、ポイントバローにおり、同じ日本人として二人が会っている可能性は高いと言えます。
小さな寒村であるバローを舞台に、運命的な出会いがあったのです。


※フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 に掲載されている、和田重次郎の項目もご覧ください。

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