和田重次郎を知っていますか?
愛媛が生んだ探検家
明治八年、旧小松藩士、和田源八と後妻セツの間に生まれました。明治十二年、父親が病死。重次郎は母の故郷、紙の里・日の出町で、母親を助けて働きます。十七歳で野望を抱いてアメリカに密航。捕鯨船に乗り込み夢中で働きました。
明治二十九年、二十二歳の時、日の出町に一時帰郷し、三ヶ月間母親と過ごします。その間、母親を東京など大都市の見物に連れて行きました。再びアラスカに戻りますが、母親を思う気持ちは強く、終生、手紙や送金を続けました。
アラスカ開拓の先駆者
明治三十年、犬橇を使って遭難船を救います。明治三十三年、アラスカのノームで開かれた五十マイル犬橇競争で優勝。
その後、得意の犬橇を使って金鉱探しの旅に出て、砂金、金鉱、油田を発見しました。
また、北極圏六千キロの探検をし、未開発地域の地図を作成するなど、明治後半から大正にかけてアラスカで知らぬものがいないほど名声を馳せました。

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